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周防正行 インタビュー

「でも、死ぬ前にもう一度、

ああいう幸せな映画をとって終わりたい。」

 2020年1月、早稲田大学小野梓記念講堂を会場に、『小津安二郎 大全』刊行記念シンポジウムを開催した。最後の討議では映画監督・周防正行を迎え、当時公開最新作であった『カツベン!』から撮影の舞台裏や、小津安二郎のことまでたっぷりと伺った。10代で小津安二郎の映画に出会い、ひきつけられたという周防正行は今、小津安二郎をどうみているのか?

※以下、シンポジウムでのやりとりを再構成しました。

――映画『カツベン!』が公開中です。周防監督は、主演を務めた成田凌さんのお誕生日に、「小津セット」をプレゼントされたそうですね?

 

 はい。DVD ボックスです。戦後の、『晩春』とか、『風の中の牝雞』を渡してきました。20代半ばでモデルもやっている人の誕生日プレゼントに何を渡したらいいのかわからなかったんですが、ここはもう、押し付けで(笑)。小津さんの作品をまずみたことがないだろうから、みてね!っていう話をしました。

 

――その成田さんは、『カツベン!』で活動写真弁士を演じています。成田さんも今までにない役でしたね。

 

 七五調のリズムを覚えるところから始めました。活動写真弁士の片岡一郎さんと坂本頼光さんに指導していただいたんですけど、成田さんは主に坂本頼光さんの真似をする形で稽古を進めていました。あるとき、これは成田さん本人が言っていたんですけど、頼光さんと稽古をしていたとき、ここはこう言う方がいいんじゃないか、っていう意見が自分から自然に出た。そのとき、これで大丈夫かもしれないと思えたと。今まで頼光さんの真似ばかりしていたけど、成田凌が活弁をするんじゃなくて、成田凌演じる俊太郎が活弁をするっていうことが、だんだん身体に入っていったんです。

 

――『カツベン!』で描かれる時代は、小津安二郎がいた頃とも重なりますね。

 

 そうですね。俊太郎が映画に憧れたように、小津さんもいろいろな映画に憧れて監督になっているんでしょうね。

 

――活動写真弁士を描くにあたって、たくさんの資料にあたられたと伺っています。資料調査や時代考証はどのように?

 

 時代考証は精いっぱいやりましたけど、わからないことだらけでした。大正時代の街や村の映像は、写真も含めて、あることはあります。ただ、残された映像から判断するに、モダンガールもモダンボーイも、つまり洋装している男女がいる街って銀座なんですけど、少し東京を離れて地方に行くと、女性はまず着物なんです。洋装の女性はほとんど映っていない。男性には、かろうじて背広が定着しつつある感じ。子どもたちも、男は全員坊主で着物だし。『生れてはみたけれど』のお坊ちゃんみたいな坊ちゃん刈りなんて子は見つからなかった。大正時代に新しい欧米の風が吹いてきたって印象はありますけど、田舎に行っちゃうと、まだそんなに西洋の香りはないんだなってわかりました。

 活動写真弁士については、学術的なものというより、ご自身の体験を記しているものが多い。内容の精査も必要です。『カツベン!』で、映写技師が足で映写機回すシーンなんて、ある活動写真弁士のエッセイを参考にしています。忙しいときは飯食う暇ねえから、足で回しながら弁当食ってた、みたいな記述が出てくる。本当か?と思いながらやってみました。僕自身もまったく実感できない時代の空気をどう描くかという点で、これは僕のファンタジーで、僕の大正時代にしかならないんだと、かなり早い段階から思っていました。

 もうひとつ例を挙げると、劇場での売り子のスタイル。どんなドラマとか映画をみても、大体駅弁スタイルで、首から紐をつってやっています。でもそれは違うという文献を、ある活動弁士の方が読んでいた。あんなことしたら、駅弁スタイルの箱が座っている皆の頭にぶつかっちゃう、だからあんな形はありえないと。じゃあどうしてたんだろう?って訊いたら、肩に担いでいたんじゃないかというんで、写真も映像も残っていないけど、『カツベン!』では肩に担いでやるスタイルを作った。そんなふうに、一理ありそうなものは積極的に取り入れて作っています。この大正時代に、活動写真弁士の語りを聞いた人がご存命であるなら、本当に詳しく聞いてみたいですね。

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成田凌演じる活動写真弁士

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映写機を足で回す映写技師

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劇場で飲み物やお菓子を肩に担いで販売する様子

​出典:周防正行監督『カツベン!』「カツベン!」製作委員会、2019年。

――活動写真弁士に対してはどのような印象をお持ちでしたか?

 

 もともとは僕自身が、活動写真弁士を無視していたんです。サイレント映画は無音なんだから、無音でみるべきもので、伴奏やら弁士は、単なる添え物、おまけというか、邪魔者であると。学生のときは、弁士も音楽もなしで、無音の中でみるというのが僕の無声映画の見方でした。小津監督の『生れてはみたけれど』なんて、弁士も音楽も絶対ないほうがよいと思っていたんです。でも今回、片島章三さんの脚本を読んだときに、世界中でサイレント映画を無音のままみていた人っていないんだと、当たり前の事実に気づいちゃったんです。欧米でも、活動写真弁士がまったくいなかったわけではない。そしておおむね、音楽がついたんです。日本はそこに語りもつく。その中でみんなみていた。となると、これは単なるおまけだとか、映像表現とは関係ないものだっていう方が戯言なんだと、今更ですけど気づいちゃったんです。僕が今いちばん知りたいのは、少年小津安二郎、青年小津安二郎は、活動写真弁士の存在をどんなふうに考えていたのか、ということです。なおかつ、自分の作品が、みずしらずの活動写真弁士に語られている現実を、どういうふうに思っていたのか。それが当然のものだと思って作っていたのか。

 

――そうですね。

 

 僕も小津さんが好きだからいろんな本を読んできましたけど、小津安二郎が活動写真弁士についてどう考えていたのかを実は読んだ記憶がないんです。伊藤大輔は語っていますね、自分の映画の語りは、洋画を専門にやっている人と合うって。彼は想定しているんですよ。自分の時代劇、チャンバラだけど、チャンバラ得意な人がやるんじゃなくて、洋画得意な人にやってほしいと。稲垣浩は、ファンとして活動写真をみていたときは、活動弁士はすごいなと思っている。監督になってサイレントを撮り始めたら、活動写真弁士は困ったもんだと思った。でも、トーキーが始まって自分でシナリオのセリフを考えていると、弁士の影響が大きいことを自覚した。それぐらい、弁士の存在は映画の作り手にも、みる方にも大きな影響を与えた。後年、小津さんは、説明する芝居を嫌いだと−−。

 

――言っていますね。

 

 そこに、もしかしたら活動弁士も射程に入っていたんじゃないか。小津さんはサイレント映画を、活動弁士がなくても通じるもの、成立するものとして作ろうとしていたんじゃないか。それがサイレント映画を作るモチベーションだったんじゃないかと想像が膨らんだんです。そのあたりはぜひ、小津安二郎を研究している方に調べてほしいなと思っています。

 

――大きな宿題をいただいた思いです。小津監督の『生れてはみたけれど』は、私たちもちょうど3年前に、今日の会場、早稲田大学で上映をしました。マツダ映画社さんからお借りして、活動写真弁士の語る『生れてはみたけれど』を上映したんです。すると、悲しい場面に悲しい音楽や説明が入るところがあった。それらが、果たして小津の映画にあっているのかどうか、と議論しました。小津監督は、もちろん使う場面もありますが、特に後期の作品では、悲しい場面にあまり悲しい音楽を流しません。その表現に違和感はありましたね。小津安二郎ならどうみていただろう、と。

 

『生れてはみたけれど』だけ、僕はまだ弁士つきではみられない。怖くて(笑)。

 

――それはなぜでしょう?

 

 みる勇気がない。僕のなかの『生れてはみたけれど』っていう世界が、人の語りによって破壊される現場に立ち会うのが怖いんです(笑)。僕自身が『変態家族 兄貴の嫁さん』を作る時、それこそ、戦後の小津作品を辿るところから入っていったんですけど、考えてみたらその後は、どんどん小津さんの世界を遡っている。いまや小津さんの初期の、にぎやかな学生のコメディータッチの映画に突入しているんじゃないかと思うんです(編注:周防監督は2022年、学⽣相撲をコメディータッチで描く『シコふんじゃった!』を総監督した)。そうすると、本当に初期の『落第はしたけれど』とか『青春の夢いまいづこ』とか、もう1回みなおしてみたいなって思います。ルビッチなんかが好きで映画を始めた小津さんのアメリカ映画への憧れ、そこで描かれる世界は日本的なコミュニティとはちょっと違うようにみえるものがある。あのあたりの素直な、当時の小津さんの映画に対する憧れがみえる作品群を、もう一度みかえしてみたい。戦後の小津作品をみる機会は多いんですけど、サイレントをみる機会はなかなかないんです。

 

――戦後と比べて、この時期は実に多彩ですよね。色々な挑戦をしていますし、映画への憧れを感じます。一方、周防監督は、助監督時代に1本撮ってみないかと言われて、一番好きなものについての映画を撮ろうと決めた、それは間違いなく小津作品であったと、『小津安二郎 大全』に書いてくださいました。多くの作品がある中で、なぜ小津作品だったのでしょう?

 

 ね(笑)。アクション繋ぎとか、赤いやかんとか……でもごめんなさい、これは言葉じゃ説明できない。それぐらい、はじめてみた『秋刀魚の味』からはまってしまった。僕、最初に『秋刀魚の味』をみたときに、この映画終わるな、この映画終わるな!って思いながらみてたんですよ。(映画に登場する)馬鹿なあの親父たちの、あの同じ空間の、カウンターの一番すみっこで、じーっとその話を聞いていたい。そういう18とか19歳だった(笑)。のちに松竹ヌーヴェルバーグの監督のどなたかがですね、「やっぱり年を取らないと小津安二郎の良さはわからない」って言ったんですけど、いや、若い僕が感じた小津の良さと、本当の小津さんの持っている素晴らしさって違うかもしれないけど、少なくとも僕は10代に、小津さんにはまってしまった。言葉では説明できないけど、別に年取らなくても若者だってはまるんだっていうのは、確実に言えるんです。

――今、その『変態家族 兄貴の嫁さん』を振り返ると?

 

 若気の至りとしか言いようがない(笑)。本当に一途な思いだけであれを作った。

 僕の才能って、図々しさだと思うんです。ある瞬間、図々しくなれちゃう。映画を撮ったあと、ピンク映画の畑では有名な批評家の方から、ピンクで小津やれば評価されると思ってるその姿勢が許せない、と言われて。えーっ!て思いました(笑)。僕は作るときに、これを人がどう思うだろうなんて微塵も思わなかった。むしろバチが当たるんじゃないかと思ったくらいで。自分が見たい、自分が作りたいっていうだけであそこまでのことができるその図々しさ、鈍感さ。それがきっと、僕のとりえなんです。もうあんなことは二度とできないだろうと思います。でも、死ぬ前にもう一度、ああいう幸せな映画を撮って終わりたい。

 あのときはビスタで撮っていて、スタンダードじゃないんです。小津なんてできるわけない環境の中で、思いだけで撮ろうとしている。そこは微笑ましいというか、あのときにしかできなかったという意味で、すごく貴重な映画だなと思います。たまにこの映画をすきだって言われるたび、申し訳ないと思いながら聞いていることが多いですけど(笑)。

 

――私たちもすきです(笑)。『小津安二郎 大全』では小津安二郎との出会いも具体的に記してくださいました。本書は多数の方に寄稿いただきましたが、いかがでしたか?

 

 僕読んでほっとしたことがあって。坂本龍一さんです。以前、坂本さんが小津さんの音楽を作り直したいって言ったのを小耳に挟んで、なんて恐ろしいことを言う人だ、そんなことされてしまったらどうしよう、ってずっと心に引っかかっていた(笑)。今回、もうその気はないということで安心しました。小津さんの世界の中で、あのシーンと音楽は切り離せないものです。だから、本当にこの本を読んでほっとしました。僕自身、小津さんの映画の音楽は最上の音楽としてある。シーンの橋渡しとして音楽を使っていますよね。僕の『シコふんじゃった。』なんてわかりやすいと思うんですけど、小津さんの映画を手本にしている。その音楽をほぼ否定されちゃうと、僕もしょぼんとなっちゃう。坂本さんもおっしゃっていますが、音楽って何にでものっちゃうんです、本当に。それぐらい、動画と音楽の相性の良さがある。怖いんですよね。

 

――音楽の話が出ましたが、映画『カツベン!』は活動写真弁士が映画に声を、息を吹き込みます。魅力的な人物がたくさん登場しますね。

 

 さっき、僕は小津さんを遡るって言いましたけど、青木富夫がサイレントに出会ったという意味では、本当に遡ったなと思います。

 

――監督の作品で竹中直人さんが演じてきたおなじみの役名ですね。『カツベン!』では映画館の館主になっています。

 

小津さんが撮影所に遊びに来た近所のガキを捕まえて、お前、面白いって言ったのが青木富夫、突貫小僧ですね。そういう突貫小僧のイメージで、僕は竹中さんに『シコふんじゃった。』に出てもらったんですけど、『カツベン!』ではついにサイレント映画に出現した。感慨深いです。

(聞き手・構成:宮本明子、松浦莞二)

 

周防正行(すおまさゆき)

1956年東京生まれ。小津安二郎にオマージュを捧げた『変態家族 兄貴の嫁さん』が話題を呼び、『ファンシイダンス』で一般映画監督デビュー。日本アカデミー賞13部門独占受賞、ハリウッドでリメイクされた『Shall we ダンス?』や『それでもボクはやってない』『終の信託』『舞妓はレディ』等多数。2016年春、紫綬褒章受章。最新作は、Disney+配信ドラマ「シコふんじゃった!」。

小津調で描かれるピンク映画の傑作。

出典:周防正行監督『変態家族 兄貴の嫁さん』国映株式会社、1984年。

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