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小津安二郎研究雑記その1(2021年9月) 松浦莞二

小津安二郎研究雑記01:逆転
 

 小津作品には意外にどんでん返しが多い。

 脚本第1作『瓦版かちかち山』では、御用聞き(岡っ引き)と思われた主人公が、実はスリ団の頭だったという逆転がある。同じく初期作品『肉体美』のどんでん返しも面白い。失業中の夫をモデルに妻が絵を描いて生計を立てているのだが、ある時、素人である夫の描いた絵が大きな展覧会に入選。一躍注目の画家となり、夫婦の立場が反転する、という話だ。女流画家が家計を支えるというのは珍しかった時代だ。当時の常識から反転した物語設定が、映画内でさらにひっくり返るという面白い構造を持っている。

 晩年の作品ではどんでん返しのような劇的な展開は少なくなっていくが、強いて挙げると、『晩春』や『お茶漬の味』にも、小さなどんでん返しを感じとれようか。しかし何と言っても面白い逆転は、1930年に若き小津が監督した『お嬢さん』だ。

 残念なことに『お嬢さん』のフィルムは現存していないのだが、脚本が残っている。新人男性新聞記者が、敏腕女性新聞記者と特ダネを競い合う話だ。当時珍しかった女性の新聞記者、しかもやり手で活発な女性が主役になっている。『晩春』など後期の作品しか知らない人には意外に思えるかもしれないが、小津らしい。幽霊が出るという建物に潜入すると、その正体は浮浪者だった、など喜劇的な内容が続き笑いを誘う。物語終盤、二人はある事件に巻き込まれる。それは新聞に載せるには打ってつけの面白いネタだった。しかし、未来ある青年の、しかもお金に困っての小さな犯罪なのだから記事にするのはよそう、そう二人は約束し、事件現場を後にした……。

 ここで終われば『お嬢さん』は最後は泣かせる喜劇として知られたであろうが、小津は話の最後にその構造ごとひっくり返す。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、興味のある人はぜひ脚本に挑戦してみてほしい。切れ味抜群の若き才能に驚くだろう。物語の中盤に弛みを感じないではないものの、初めてキネマ旬報のベストテンにも選出された、実に面白い作品だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 


 

小津安二郎研究雑記02:結婚

 小津を語る上で、脚本家:野田高梧は欠かせない。小津の監督第1作から付き合いがあること、『晩春』以降の全ての小津映画で脚本を共同執筆したことなどは広く知られているだろうか。一方、知られていないことも少なからずあるので、小津との関係を中心に簡単に紹介したい。

 野田は1893年に生まれた。小津より10才年上だ。中学時代から映画や芝居が好きだったようで、学校で禁じられていたにもかかわらず度々映画館や劇場に足を運び、停学処分を計7回も受けた。小津も校則を破って映画館に通っていたというのでこの点は同じだ。しかし、小津と違って成績は優秀だったのだろう。野田は大学に進学することができた。早稲田大学英文科でギリシア劇を専攻し、松尾芭蕉で卒業論文を書いた。卒業後は雑誌記者として映画批評を書くなどしたが、その後、脚本を執筆するようになり、30才で松竹に入社。その3年後の1927年に小津の監督第1作『懺悔の刃』の脚色(現在で言うところの脚本に相当)を担当している。

 その後も監督第9作『和製喧嘩友達』、第11作『会社員生活』、第12作『突貫小僧』、第13作『結婚学入門』、第16作『その夜の妻』、第17作『エロ神の怨霊』、第18作『足に触つた幸運』、第22作『東京の合唱』、第25作『青春の夢いまいづこ』、第26作『また逢ふ日まで』、第27作『東京の女』、第30作『母を恋はずや』と、断続的に小津映画に参加。会社員などを描く小市民映画を確立した。

 1935年、連作にすることを視野に入れつつ第32作『箱入り娘』を小津と執筆。小津の映画で初めて娘の結婚が主たる題材となる。母子家庭の娘が、意中の人がいるもののお金持ちとの縁談話があり、意に反しながらもそのお金持ちと結婚することになる。しかし結婚当日に娘は結婚を取り消し、意中の人と一緒になることを決意する、といった話だ。

 物語は面白いと思うのだが、小津は作品の出来上がりに満足できなかったようで、連作の計画も消えてしまった。そしてこの後、野田とはしばらく距離ができ、共同執筆もなくなる。その理由ははっきりしていないが、これまでの二人の共作を振り返ると『東京の合唱』以外に一般に高く評価された作品がない。『お嬢さん』も『生れてはみたけれど』も『出来ごころ』も『浮草物語』も野田との仕事ではない。その辺りが理由なのかもしれない。

 その後、野田は松竹の脚本部長となり大ヒット作品『愛染かつら』などを執筆した。一方、小津も『戸田家の兄妹』で興行的にも大成功をみせ、巨匠となっていった。しかし、戦後に監督した『風の中の牝鷄』は小津自身も失敗と感じ、また評価も良くないものだった。野田はこの作品に否定的な意見を寄せるが、それがきっかけとなって、二人は『晩春』を執筆。息があったのだろう、その後、テレビドラマ『青春放課後』を除き、遺作までの全作品を共同執筆することとなった。

 以上が簡単な二人の関係だ。逸話として、野田の妻・静(しず)が小津と同じ小学校(年齢は小津が一つ年下)だったことや、野田が長女の結婚に大反対したことが『彼岸花』の下敷きにされていることなども興味深い。

 しかし、何より気になるのは1935年『箱入り娘』と1949年『晩春』の二作品だ。小津は『箱入り娘』で初めて娘の結婚を描き、14年後、再び野田と同じ題材に挑んでいる。そして『晩春』以降に度々同様の主題を描いていくことになるが、これは偶然だろうか。野田が小津にふさわしい題材、表現すべき題材として、娘の結婚や離れ離れになっていく家族を小津に勧めた、そんな仮説も考えられはしないだろうか。




小津安二郎研究雑記03:街角

 野田高梧の日記解読が映画研究者宮本明子によって進められている。まだ始まったばかりであり、完了まで10年以上はかかるであろう調査だが、『麦秋』構想時の日記に興味深い記述があった。

 それは作品の構想を練っている初期段階、1951年1月13日のもので、「「街角の店」と「お茶漬」を一緒にする話などする。」という一文だ。この日記から、『麦秋』は、エルンスト・ルビッチ『街角 桃色の店』
*1と、1939年に執筆した『お茶漬の味』*2、この二作を合わせた物語を目指していたことが窺える。

『街角 桃色の店』はごく簡単に言うと、同じ職場でよく喧嘩をしている男女がおり、それぞれ匿名で文通していた相手がいた。ある時、男は想いを寄せていた匿名の文通相手が、同じ職場の喧嘩相手の女性だったことに気づく。そして、また相手も……といった物語だ。

『街角 桃色の店』において、男女は手紙で文学のことを語り合う、文学を通じ心を通わせていた男女を描いている。『麦秋』でも原節子演じた役は、その未来の結婚相手から『チボー家の人々』を借りるなど、文学を介したやり取りがあった。また両作品とも、今まで身近におりなんとも思っていなかった相手の魅力に、ある時ふと気づき、結ばれる、という点が通じている。この身近な相手の魅力に気づくというのは『お茶漬の味』とも共通しているので、これが『麦秋』の主題なのかもしれない。

 その他大きな共通点はないようだ。『街角 桃色の店』を基に『麦秋』が書かれたとまでは言えないだろう。しかし、その発想の一端になったと分析して間違いないだろう。小津がルビッチを私淑し、戦前の作品に直接的な影響が多数窺えるのは周知の通りだが、『麦秋』にもルビッチの影響がみえたのは興味深い。さらなる日記の分析を楽しみにしている。


*1=原題は『The Shop Around the Corner』。現在は一般的に『桃色の店』として知られる。 *2=1939年に執筆されたが、撮影できなかった。脚本は設定を変え、『麦秋』の翌年1952年に映画化された。




小津安二郎研究雑記04:黒澤

 野田高梧の『麦秋』執筆時の日記解読で、もう一つ興味深い記述が発見された。黒澤明についての記述だ。

 小津の7つ年下の黒澤明。共に一線で活躍し続けたにもかかわらず、この二人の交流はよくわかっていないことが多い。黒澤の第1作『姿三四郎』が検閲で不可になりかけたところを小津が擁護し、無事作品が公開されたことは有名だが、それ以降に目立った関係がみえていなかったのだ。しかし、研究は進むもので、小津が黒澤から音楽の影響を受けていたことがみえてきた。詳しくは拙著『小津安二郎 大全』をお読みいただきたいが、小津の『早春』に、黒澤の『野良犬』の音楽から影響があったことが明らかになってきている。

 そして、野田の『麦秋』執筆時の日記からも新しい事実が見えてきた。執筆が難航しているところに小津と野田は黒澤の『白痴』を読み、それから執筆が進み出したというのだ。

 『麦秋』の脚本執筆は1950年の11月から開始された。しばらくは「ストーリー一向に進展せず」「ストーリー、大体の方向のみでなかなかまとまらず」と苦労の様子が窺える。構想を練り始めてから3ヶ月が近づいた頃からようやく筆が進み出す。時を同じくして、二人は黒澤の『白痴』を読むのだが、小津は「訳わからず/登場人物の白痴なるは可なるも 脚色監督の白痴なるハ不可」と酷評。野田も日記に「久板=『白痴』共同執筆者:久板栄二郎
黒澤の「白痴」を読む。よくわからず。それに反撥を感じたせいか、夜、相談、わりに進む」と記した。事実、それからは順調に執筆が進んだ様子が日記から読み取れる。

 つまり『白痴』という極めて劇的な作品を読み、それを反面教師にして、小津作品の中で最も「非」劇的な『麦秋』が書けたのではないか。主人公が戦犯として処刑される寸前に助かるなど、劇的な要素が次々に起こる現実離れした『白痴』への反発。それが、小津作品の中でも特に劇的な要素のない『麦秋』ではないか。そんな仮説もみえてきた。研究は面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小津安二郎研究雑記05:教育

『麦秋』の脚本が高校の教科書に掲載されていたことがある。『小津安二郎 大全』にそう書いたところ反響があったので、もう少し詳しく書いてみたい。掲載されたのは大修館書店『新高等国語二上』。1957年に掲載なので映画公開からわずか6年後のことだ。6割強ほど省略されつつも25ページにわたって掲載されている。5年間掲載されていたので、高校で読んだことを覚えている方もまだいるだろう。

 教科書なので文末には設問もある。「紀子はなぜ矢部と結婚する気持ちになったのか、考えてみよ」など計8問。難問揃いだ。当時の学生も苦しんだだろうか。筆者には解けない問題も多かった。

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『お嬢さん』ポスター

大スター栗島すみ子と小津組常連となる岡田時彦(岡田茉莉子の父)が写る鮮烈なデザイン。ポスター制作は商業デザインの草分け、河野鷹思。

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『新高等国語二上』大修館書店、1957年、136頁から作成

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