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惣領冬実 インタビュー

「これが子どもの頃から心地良いんですよね。子どもって目線が低いので、リアリティがある」ーー『チェーザレ 破壊の創造者』で世界的な注目を集める惣領冬実が語る小津安二郎。

6000字ロングインタビュー!

――テレビのインタビューで小津安二郎に触れられていて驚きました。

 

 小津の映画を観たら、会社にいた時のことを思い出すんです。懐かしいやら辛いやら。デザイン会社でした。参考書やテストの答案用紙を作るんですよ。図形や地図を方眼紙にきれいに起こす仕事だったんですけど、女性たちが当番で、入社してまずお茶汲み。

 

――それはイラストのお仕事でしょうか。

 

 イラストですが、決まった図形をそのまま方眼紙に起こすだけ。上は男性ばかりで、企業から委託されたポスターだったり、暑中見舞いだったりのデザインをやっていました。私は彼らの下請けで描いてたんですけど、最初にもう驚いたのが、5人いた男性のコーヒーの好みを覚えろって言われたこと。3時にコーヒー淹れなきゃいけなくって、御局様みたいな人に全員の好み聞いてねって言われた。砂糖だけ、ミルクだけ、砂糖ミルク両方、どちらも入れない、って覚えたんです。部長は日本茶希望でした(笑)。

 私、先輩にこれ仕事なんですかって言ったら、何言ってんの仕事に決まってるでしょって言われた。そんな時代だったんですよ。そんなことがあって、耐えられず3か月で終わっちゃったんです。

 その後、フリーのアルバイトをしていた時に、母に手に職つけるようにと、最後の温情で服飾学校に行かせてもらったんです。師範免許取りなさいって。

 

――それは東京の学校ですか。

 

 杉野のドレスメーカー女学院の分校が大分にあったんです。そこに通って師範免許を取って、そのときに漫画を投稿してるんです。そうしたら国家試験も受かって。漫画の方も二次通過して、最後の選考で賞ももらえるんじゃないかって、電話がかかってきた。それで東京に来て小学館に初めて行った。洋裁の仕事もやりたいのでアルバイト感覚でいいかって言ったら、何考えてるんだって怒鳴られてしまったんです(笑)。みんな喉から手が出るほどページが欲しいって言っているのに、よくそんな悠長なこと言ってられるなって。

 いつもこの経緯を端折って言ってるんですが、実際は一度は就職してたんです。だから小津さんの映画を改めて観てたら、ああ、当時の女性の立場が描かれてるなって。いやこれは女性怒るだろう、でも昔はこうだったんだ、って言いながら観ていました。

――確かに、そうした当時の場面もありますね。その一方、小津監督は先鋭的な女性も描いています。

 

『秋日和』(1960年)でも司葉子さんが、お見合いなんていいわ、結婚したいときにするからお母さんと今は一緒にいたい、なんて突っ撥ねていますね。小津さん、強い女性が好きみたいな感じですよね。

 

――そう思います。小津監督の慕っていた母は、南朝の武家の流れをくむ家に生まれて、とてもはっきりした性格の方だったようです。性格的な理由からか、離婚も経験していますね(詳細は『小津安二郎 大全』154頁参照)。安二郎は再婚相手との子なんです。

 そうなんですね。

――小津作品を初めてご覧になったのはいつでしたか。

 

 中学校の時に、テレビで。『秋日和』か、あるいは『秋刀魚の味』(1962年)だったかもしれない。

 

――これらの作品にも会社の重役としておじさんが登場しますね。その時は、おじさん嫌だなとか思われましたか。

 

 全然なかったです。私、佐分利信が好きだったんです。『白い巨塔』(ドラマ版)や『華麗なる一族』がすごく好きで。あと、小津映画には出演していませんが、志村喬。佐分利信と志村喬のお二人が、日本の俳優陣では今でも好きなタイプの役者さんですね。

 

――ずっと邦画がお好きだったんでしょうか。

 

 中学の3年あたりから、洋画を観るようになりました。画期的だったのは『ダーティハリー』でした。今度はクリント・イーストウッドに(笑)。洋画では『ダーティハリー』がトップなんですよ。インタビューでも言ったんだけどカットされちゃって。小津さんとヴィスコンティだけクロースアップされて。ドン・シーゲル監督の『ダーティハリー』の空撮が好きなんですよ。

 

――インタビューで、小津監督から刺激を受けたとおっしゃっていました。

 

 ええ、刺激というよりは不思議で。『男はつらいよ』みたいな映画の人物は、表情が豊かで、汗を感じて、アップが多い。でも、小津さんの映画は汗も感じなくて、引いた画面が多い。なぜか隣の部屋から撮ってるんですよね。第三者の目なのか何なのか。それがずっと続くので、違和感だらけなんですよ。他の映画は自分が感情移入して、主人公のつもりとか、共感しながら観るんですけど、小津さんのは本当に、部外者が覗き見してる感じ(笑)。

――そういった視点が印象的だったということでしょうか。

 私の作品では比較的アップが続かないように心掛けている。顔、顔、顔のアップの連続が辛いんですよ。圧を感じてしまって。だから、背景の方を大きく入れてしまう。どうしても、空を入れてしまうんですよね。

 あと、インタビューで、私の漫画は同じところの背景を、パンしながら何回も描いてる、って言われて。ああいうところが小津さんの影響なのかなあ(笑)。空間が3Dになる感じが、閉塞感がなくて好きなんですよ。

――人物をちょっと引いて捉えるところと、一つの場面を多視点で捉えるところですね。多視点で捉えると、読者も一緒に街を歩いているような感じで世界に入っていけますよね。

 絵画で言うと、小津さんはベラスケスが好きなのかと思うことがあります。『ラス・メニーナス』ってご存知ですか。

 

――有名な、幼い王女と従者らの人物画ですね。

 

 天井が高くて、人が全部入っていて、全部一枚に収まっている構図が似ているなと。好きなんですよ。ベラスケスはバロックの中でも印象派に近い人だなと。人物画臭くなく、一場面を映画みたいに切り取っている。『ラス・メニーナス』の絵の天井が高いのがとても気になっていたんですよ。

 

――先生はバロック時代に、天才がたくさんいるとおっしゃっていましたが、一番お好きなのが印象派なんですよね。将来この時代を描く構想もあると伺いました。

 

 そうなんです、印象派を描きたいって。でもまずはルネサンスからだ、って。

 

――印象派といえば、浮世絵はご覧になりますか?

 

 浮世絵よりも日本画を観ます。ベラスケスよりももっとトップクラスは、長谷川等伯なんです。生涯に一枚と言われたら、『松林図屏風』ですね。すばらしい、本当に。西洋画は全部描いちゃうじゃないですか。全部きれいに、精密に描く芸術で。ところが松林図は--。

 

――省くんですね。

 

 そうなんですよ、3Dの空間をあそこまで表現している。コンパクトにミニマムにやって、あれだけ広大な世界観を出すっていうのは、西洋の方には真似できない。すばらしいですね。

 

――なぜ浮世絵のことをお聞きしたかというと、小津の祖父は、浮世絵を蒐集していたらしい背景もありまして。

 ああ。浮世絵もそうですけど、当時の日本の絵は、完全にデザインで、構成命の絵ですよね。北斎もそうですし、歌川(安藤)広重とか完璧な構成じゃないですか。きれいに収まってる。松林図も図形のような、デザイン画なんですよね。絵というよりも。あれはすばらしい。小津さんもそうなるのはわかる。デザインなんですよ、構成ですよ。

――小津監督は俳優の演技も大切にしますが、構図で語ってもいますよね。

 そうなんですよ。だからね、人が見えてこないんですよ。人にフォーカスしていないので。

――インタビューでもおっしゃっていましたね。つい絵として観てしまうので物語が入ってこないと。

 あと、人が走ってるような場面はありませんよね。

――そうですね、初期にはあるのですが。

 初期にはあるのかもしれないですが、怒鳴るとか泣くとか、汗をかくとかっていうシーンは、小津映画にはほとんど見られないですよね。みんな座って平然とおしゃべりしている。いつ頃からああなったんでしょうね。

 

――戦前は様々な作品を撮っていました。ドタバタ喜劇やギャングの話も。

 

 ああ、やっぱり変遷があるんですね。洋画からも影響があったんでしょうか。

 

――とても多いです。若手時代はバタくさい監督だと言われていました。

 

 やっぱり! 

 

――ところで『チェーザレ 破壊の創造者』に、小津を思わせるコマを見つけました。5巻なのですが。

 

 はい(笑)。結構あるかもしれません。

 

――チェーザレが乗馬のことを尋ねられた場面です。「馬を知るには馬と深く接することだと そうおっしゃったのはチェーザレ様ではなかったですか?」という台詞の後、一瞬、間をおいてチェーザレが答えます。「そうそう それ大事」。間といい構図といい小津のようだな、と(笑)。

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©︎惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』講談社

 そうそう、チェーザレは一瞬、忘れてるんですよね。一瞬固まった。それを全く同じ顔を置いて、言葉だけ変えた。そういうノリは割とある。緩急で、やっぱり小津さんテイストだと思います。感情的になるのが辛いんですよ。怒鳴ったりとか、涙をうわっとか。熱のある話が苦手ですね。私が熱にやられてしまうんです。あったかい程度ならいいんですけど、多くの日本人は感情的、扇情的なものにより惹かれる傾向があって、涙、汗、叫び、等の外連味がある作品が人気を得ることが多い。私の作品はこういったところが足りないため、漫画としてはあまり王道とは言えない、どこか冷めている。小津さんは冷めた目線だけど、だからと言って神目線で上から見ている訳ではなく、徹底してフラット(中立)を保っていますね。こういったところに私自身はシンパシーを感じているのかもしれません。

――登場人物と距離がありますよね。その方が、人物をしっかり見られて私は好きなのですが。ところで、小津の映画で、共感する登場人物はいますか?

 大人になってみると、どの人にも共感できる。でも唯一謎なのは『秋日和』の原節子さん。良い人すぎる。「えーっ、こんなに純粋な奥さんがいる?」って思ってしまうんです。司葉子さんと岡田茉莉子さんはよくわかるんですよ。若い女性で、親離れできていないタイプと、完全に個人主義でかなり自立しているタイプ。でも、原節子さんの、あなたはお嫁に行って。お母さんはこのまま幸せだから、っていうのは、いくら昔の女性でもなかなかいないんじゃないかなと。

――ただ、おもしろいのが、『秋日和』の原節子は、再婚を期待していない女性にしては異様なほどきれいで長い爪をしています。批評家の金井美恵子も指摘しているのですが。

 いや、だから嘘くさく感じてしまうんです。小津さんが、あまりにも原節子を聖女として描いていて、非現実的な女性になっている。母子家庭で働いている方じゃないですか。もうちょっと垢にまみれていてもいいのに、楚々としてきれいすぎる。あんなにきれいにできるって、ちょっとないですよ。あれは小津さんの趣味じゃないですかね。原さんを絶対汚したくない、聖女のように描きたいっていう。

――確かに。しかし、爪や身なりをきれいに整えて、心のどこかで新しい出会いを期待しているようにも見えるんです。

 ……考え方によってはそうか。意識してああいう風に小綺麗にされてる、って見方もあるんですかね。

――観ている人に委ねられますよね。実はどこかで再婚を考えているという見方もあるかと思います。他に小津作品で印象に残った場面はありますか。

 とにかくもう障子のイメージで。どこの部屋に行っても、部屋の中に障子の枡目が見える。あれも浮世絵の影響でしょうか。とにかく縦横の直線が多いんですよ。

――当時の撮影助手によると、あの襖や障子は特注で、半分の大きさのものも作らせていた。本来なら収まらないところにも障子や襖があったようです。

 やっぱり。少しだけ出ているのはおかしいですよね。大きさもまた微妙なんですよ。ちなみに、小津さんでちょっと珍しいのが、人物が中央に来ないんですよね。

――ちょっと構図をずらすことはありますね。

 人物を中央からちょっとだけ、ずらす(笑)。不思議だなと。

――目線も少し外れていますよね。

 そう。なんか微妙なんですよね。誰と話してるんだ、と考えてしまう。不思議な撮り方するなって。

――目の位置も計算に入れた、歌舞伎絵のような構図だという人もいます。

 ああ、なるほどね。フォトになってるんですよ。映画としては結構、違う撮り方、写真撮影みたいな。

――そうですね。小津は写真もたくさん撮っていました。

 ああ、だからか、なるほど。

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惣領冬実生原稿(撮影:松浦莞二)

(執筆中の原稿登場)今、ロドリーゴなめの部屋を描いているんですけど、椅子の後ろから狙っちゃうんですよ。下の方にカメラ(視点)を置いちゃうんです。あとは、空が高い。なんとなく小津さんテイストが出ているのはこういうところかなあ。

 

――わあ!すごい迫力ですね。

 

 どうしてもこの人物をここに立たせたい。じゃあ、ロドリーゴの椅子の後ろがキャメラだな、って。無意識に設定しちゃうんですね。そのために、こんな椅子の背後も描かなきゃいけない。想像で多分こうじゃないかと描くんです。時間がかかってしょうがないんですよ(笑)。

 イタリアとか行った時も、みなさん良いものを持ってきてくれるんですが、私だけ「ここの裏、どうなってるんですか?」訊くから、案内の方に、「なんでそんなこと訊くんですか?」って言われる。「そりゃ描きたいからだ」って(笑)。

 

――(笑)。そんな対象への情熱を惣領先生の作品の随所に感じます。そして、視点が低いですね。

 

 あれは『秋日和』でしょうか。結婚式場の廊下を地面に近い視点から映している。不思議なんですが、これが子どもの頃から心地良いんですよね。子どもって目線が低いので、リアリティがある。

 

――小津の映画の視点にリアリティを感じられたんですね。

 

 小学校の時、中学校の時に意識してみたんですけど、それはまだ、子どもの感覚が残っている頃だったからでしょうか。特にお母さんが割烹着を着て、たたたた、って廊下行くじゃないですか。既視感というか、目に、脳に残っているんです。家の縁側に座っていると、横見たらお母さんがキッチンにいる。その記憶と同じなんです。

(聞き手・構成:松浦莞二、宮本明子)

惣領冬実 漫画家

1959年、大分県生まれ。1982年にデビューし、主に少女向け漫画雑誌に多数の作品を発表。卓越した画力とドラマチックな恋愛描写で一躍人気に。代表作に『ボーイフレンド』、『MARS』など。2001年、青年漫画へ活躍の場を広げる。現在、「モーニング」誌上でルネッサンス期に活躍したイタリアの英雄、チェーザレ・ボルジアを描く『チェーザレ 破壊の創造者』を連載。新鋭ダンテ学者の原基晶を監修者に迎え、膨大な資料をもとに描く本作は日本だけでなくフランス、イタリアなどでもその美麗な作画と歴史に忠実な物語の世界観が高く評価されている。

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