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坂本龍一 インタビュー

――1990年代、ロンドンで武満徹さんと会ったときに、小津監督の映画音楽の話になったそうですね。

 そのときは久しぶりに武満さんと、午後3時間くらいをゆっくり一緒に過ごして、いろいろなお話をしました。自然に映画の話になって、小津の話も出てきて。武満さんが小津映画のことがとても好きだということはよくわかっていたし、僕もとても好きなので。小津映画に対しては、家族愛とか制度の崩壊とか、テーマ的な見方もできると思います。僕は、主にヴィジュアル的に見ている。ストーリーをいったん忘れると、ヴィジュアル的には、バウハウス、ロシア構成主義のような影響も見られるんじゃないかと言いましたら、武満さんもそうだそうだ、ほんとにその通りだと盛り上がりました。しかしそれに比べて、音楽はだめだよねと意気投合しまして。だったら2人で勝手に音楽を全部つくり替えてしまおうと。もちろん冗談ですけれど、とても盛り上がって、やろうやろう、となったんです。

――具体的にここを変えよう、たとえばメロディはこう、リズムはこう――というような話もしましたか。

 したかもしれないんですけど、具体的には覚えていないですね。そこまでいかないですけれど、2人がそのとき想像していた「凡庸な音楽」というのが似ていた、同じようなことを感じていたのだと考えています。ただ、そのときは盛り上がったんですが、残念なことに、その後武満さんの体調が悪くなり、(1996年に)お亡くなりになってしまいました。小津に限らず、何かの形でコラボレーションをしようとも話していたのですが。

――「凡庸な音楽」とは、どんな音楽でしょうか。

 たとえば、子どものピアノの練習の音が聞こえてくるとか、裏の校舎から合唱の声が聞こえてくる、などは情景としての音楽なのでとても効果的だと思うんですが、いわゆるスコア、ストーリーに沿っている音楽ですね、映画音楽の部分。そこは音楽の専門家から言わせると、非常に、とても凡庸でして(笑)。なんというか、映像の非凡さに比べて釣り合わない。


――坂本さんは今でも小津映画の音楽はやはり「凡庸」だと考えていますか。

 はい。ただ、じゃあ小津さんの映像と同じように非凡にして、それこそ武満徹、あるいはラヴェルやサティが作ったような音楽にしたらいい映画になるかというと、多分ならないと今は考えています。

――小津監督は作曲家の斎藤高順に対して、「私の映画のための音楽は、いつもお天気のいい音楽であってほしい」ということを言っていたそうです。つまり意図的にある種の凡庸さを狙っていたとも考えられそうです。

 ひとつは、仮に映像に対して音楽までも洗練させると、洋物くさくなる、借りてきたものになってしまうということは考えられます。一種の西洋音楽ではあるんだけれど、明治以来日本化された音楽の凡庸さというのか、いってみれば、小学校唱歌に代表されるような、親しめるけれども音楽的にはそれほど高級ではないもの。高級さをあえてひきおろし、庶民にとって聴きやすいもの、そういう注文だったのではないかと思います。同じように、俳優の笠智衆さんは、誰もがアタッチメントを感じられるお父さんを演じているわけで、いってみればそのような誰にでも親しめる音楽でしょうね。それに対して、小津監督の映像は芸術性が高い。そこのギャップですね。面白いし、それも魅力だし。

――小津映画の音楽は映像に対して「無関心」である、「無関係」であると説明されることがあります。映像や物語に対して、関係がない音楽をつけているという意見だと考えられそうですが――。

 そんなことはないと思います。ストーリーに沿った音楽がちゃんとつけられていると思いますよ。

――ただ、いつも同じようなイメージではあります。

 そうですね。それはもう、脚本自体がいつも同じようなものだから。役者も似たような人が出ているし。小津監督の有名な言葉で、「僕は豆腐屋だ」というのがありますよね。毎日豆腐は作ってるけれども、自分なりに一生懸命工夫しているんだと。どれも似たような映画ではあると思います。もちろん音楽も、こっちの音楽をこっちにつけても使えるようなスコアリングに常になっているわけではなくて、ちゃんとそのストーリーに即した、物語にそうような音楽もつけてはいます。

――具体的な例を挙げると『東京暮色』(1957年)などは、かなり暗い物語だと思います。にもかかわらず、非常に有名な「サセレシア」、つまり明るい音楽がずっと流れていて、ある種、異化効果のように聞こえる部分もあります。異化効果的なものをねらっている、という感じはあるのでしょうか。

 ありますよ。異化効果はよくお使いになりますね。たとえば、家族が死んだ日にポーンと青空がインサート(挿入)される、というのも映像的な異化効果ですね。同じような使い方を、音楽にもしていると思います。『東京暮色』のお話をされましたが、『浮草』(1959年)もわりと悲しい話で、いろんな恋愛もうまくいかないという場面もありますが、音楽はとてもコミカルですね。軽い音楽が、少し悲しい、切ないシーンについてます。それはやっぱり異化効果で、映像でいうところの「死んだ後の青空」みたいなことだろうなと。そぐわない音楽に対しては、僕もそう感じています。ある意味、映像あるいはストーリーと音楽のカウンターポイント、対位法になっているかなと。

――すると効果的な、戦略的な音楽のつけ方という評価もできると思うのですが、そのことと「凡庸」さは両立するんでしょうか。

 両立しますね。だけど、『浮草』の軽いコミカルな音楽にしても、音楽の洗練度というのがあるんですね。同じように軽くてコミカルでも、ラヴェルやサティが作るのと質が変わってくる。だから、どういう性質かというジャンルの話ではなくて、どういう性質の音楽でも、凡庸なものと、いいもの、素晴らしいものというように段階があると思います。

――2018年のベルリン国際映画祭で『東京暮色』が上映されました。そのとき、ヴィム・ヴェンダース監督とも会っていますが、どんなお話をされましたか。

 『東京暮色』、僕もとても好きだし、小津作品の中ではかなり長いほうですよね。悲劇だし、なんで小津さんがあんな映画をつくったのかなという気もします。面白いのは、当時あまりヒットしなかったから、残っているプリントの状態がとてもいいんだそうです(笑)。とても綺麗に残ってる。でもなぜあんなに暗い映画を撮ったのか、謎ですね。ヴェンダースはとても好きだといっていました。

 

――坂本さんは海外の映画監督と仕事をする機会も多いですが、小津安二郎について話題にのぼることはありますか。

 亡くなったベルナルド・ベルトルッチ監督は日本映画をよく見ているので話すことがありました。ただ自分は小津安二郎、黒澤明、溝口健二の中で、とくに溝口に影響されたと。ただ世界の映画関係者と話をすれば、小津の名前は必ず出てきますね。黒澤のことが好きなのはアメリカ人が多いでしょうね。ヨーロッパ人は溝口、小津が好きな人が多い印象です。

――小津作品のなかで、坂本さんが好きな作品は――。

 作品でいうと、ベタな答えですが、僕が一番好きなのは『東京物語』(1953年)かな。あとは一番最後の『秋刀魚の味』(1962年)ですね。だんだん歳をとってくると『秋刀魚の味』のほうが好きになってくる(笑)。やっぱり小津っていうと『東京物語』、個人的にはだんだん歳もとってきて、『秋刀魚の味』ですね。滋味というか、諦念が感じられるし、またあの有名なシーン(岸田今日子のバーで笠智衆が加東大介と再会し会話するシーン)で小津さんの本音がチラッと聞けるような気がします。

――小津安二郎と同時代の映画で音楽が素晴らしいと思われる作品、あるいは坂本さんが評価される作曲家は――。

 その時代では芥川也寸志さん、黛敏郎さんですね。音楽だけで見たら、黛さんのほうが洗練されていますね。じゃあ黛さんが音楽つけたらいいかっていうと、それは多分うまくいかない。映画としての全体の魅力も失われてしまっていたかもしれない。いいものといいものを合体させたらよりよくなるかというと、そうならないこともありますね。

――黛さんは小津作品ですと『お早よう』(1959年)と『小早川家の秋』(1961年)で音楽をつけています。

 黛さんの純音楽に比べれば凡庸な音楽だとは思いますが、この映画に非常に繊細に寄り添って書かれていますね。僕が好きな黛さんは、非常に実験的で、才気走ったところではありますが。しかしさすがに黛さんだけあって、いつもの小津さんの音楽に比べてラヴェルやストラヴィンスキーのような、フランス近代音楽風の響きが多く、一部に早坂文雄に近いところもありますね。特に『小早川家の秋』の最後の「葬送行進曲」などは。それと、音楽が少ないのもいい。しかし、こうなると、この映画ということではなく、やはり一度武満さんが小津さんとやったのを、なんとも聴いてみたかったな。

――その『お早よう』で黛敏郎を起用したのは小津だったようです。黛のような当時のエリートの作曲家を使うことが、流行のようになっていた部分もあったんでしょうか。1950年代というと。

 それはあるでしょうね。戦後で新しい時代を迎えて。黛さんは才気煥発な若手作曲家でしたから。若いエネルギーを感じさせるものだったでしょうね。

――小津映画からいったん離れるのですが、坂本さんは以前、台湾のエドワード・ヤン監督がお好きだとおっしゃっていたかと思います。

 はい。

――エドワード・ヤンの作品は全体に、伴奏音楽がきわめて控えめです。まったく使われてない作品も何本かあったと思います。ということは、映画音楽というものの存在に関して、坂本さんご自身が、もしかするとある意味で批判的に、音楽はいらない、あるいはないほうがいいと考えられている部分もあるのでしょうか。

 最近はそうですね。映画にとって音楽は必ずしも必要だとは思いません。もちろんあってもいいんですけれど、必要以上にある必要はないと思っています。特に最近のアメリカ映画は、ベタッと音楽が入りすぎている。映像ですでに表されていることを、音楽で上塗りしている。それは観客の民度の問題だと思います。数年前にヴェネツィア映画祭の審査員を頼まれて行ったときに、20本ぐらいの中に3本、自分の好きな映画がありました。偶然ですが3本とも、いわゆる映画音楽がなかった。しかし、サウンドデザインが非常に素晴らしい。いわゆるおたまじゃくしの音楽がなくても効果的に音が設計されていて、僕はそれを面白く思いました。一方で、同じときに、フランスのある監督の映画がありましたが、映画としてそんなに悪くはなかった。音楽はよく書かれているし、良い演奏で録音もいい。しかし、とても古い、コンヴェンショナルな「映画音楽らしい」ものでした。それがついていることによって映画全体までが、とても古臭く見えてしまったんです。これではもうだめだなと。

――すると小津映画には、もしかすると音楽がないほうがよかった――という可能性もあるんでしょうか。

 うーん、しかしその、いわゆる映画音楽がなくても、サウンドデザインで素晴らしいものができるというのは、やはり今のテクノロジーのおかげでもあると思うんですよ。昔の悪い音っていうのかな、悪い音もとてもよかったりするんですが、効果音やセリフだけでは、当時のお客には厳しいでしょうね。

――テクノロジーの問題も大きいわけですね。

 とても大きいと思います。逆に今は、効果音と映画音楽の区分がだいぶ曖昧になってきています。はっきりした昔ながらの映画音楽でないような、効果音のような、「全体としてのサウンドデザイン」という考えが主流になりつつあります。僕はそれでいいと思うんですけれども、それはやっぱり50年代60年代、昔の音響技術では無理だった話だと思います。

――いわゆる「映画音楽」の話に戻りますが、ミシェル・シオンの『映画にとって音とはなにか』の中で紹介された、現代音楽家のマウリシオ・カーゲルの発言は有名です。「すべての音楽はすべての映像にあってしまう」という趣旨のものですが、その見解についてはいかがでしょうか。

 はい、僕も常々そう思っています。仮にひとつのシーンがあったとして、そこにどんな音楽でもつけることはできます。ただ、音楽がつくことによって見えていることの意味が変わってしまう。ある種、コンテクストを作ってしまう。僕がよく昔から例に出すのは、机の上に水が入ったコップがある。そこにどんな音楽をつけるかでコップの水の意味が変わってしまうということです。たとえば、隣の部屋から楽しそうなパーティの音が聞こえてくる、あるいはサスペンス風の怖い音楽をつけるなど。音楽の違いによって見えかたが違ってくる。要するに、映像にはどんな音楽もつきます。

――そうなると、映像との関係性において、「間違った音楽のつけ方」はないということになるのでしょうか。

 いや、あります。どういう音楽をつけるかによってコンテクストが大きく変わってしまうので、映画にとって「間違った音楽」というのは当然あります。ある映像と、ある音楽の関係性においてですね。昔、偶然テレビで見ていてなるほどと思ったんです。東京オリンピックがあったでしょう。聖火台にランナーが登っていって、聖火をつけるシーンがありますね。階段を駆け上って、煙がたなびいていて、それを何万もの人が見ている。ニュース映像であればそこに通常、ファンファーレのような音楽がつくわけです。すると、見ている僕らの視線はランナーに集中する。ところが、音楽を取っちゃうと、視聴者はランナーも見るけど、ランナーを見ている観衆にも注意がいったり、旗に目がいったりする。あるいは風の音に注意がいったりする。音楽が「何を見るか」ってことをコントロールさえしてしまう。非常に怖い。だから使い方というのは、気をつけなくてはいけない。

――ところで、日本映画とその音楽に関しては、いわゆる「日本的」という側面がしばしば強調されがちです。それに対して小津映画というのは、映像面でも音楽面でも、オリエンタリズム的なものを免れている、と考えることができると思われますか。

 もうあれだけしつこく、いわゆる普通の、戦後の日本の家族の問題を扱っているのに、ドメスティックなものにならず、映像の力なのか、「凡庸な」西洋プラス和風の折衷音楽のせいか、もっと大きなものなのか分かりませんが、非常にインターナショナルな存在になっていますね。ヴィム・ヴェンダースに代表されるように、世界中の監督、観客が強いアタッチメントをもって見ることができる、感じることができる。そこが小津監督の才能と人間に対する眼差しの秀でたところだと思います。

(初出:『小津安二郎 大全』 聞き手:長門洋平、松浦莞二、宮本明子)

 


(さかもと・りゅういち)1952年、東京生まれ。音楽家。78年、「千のナイフ」でソロデビュー。同年、『Yellow Magic Orchestra』を結成。散開後も多方面で活躍する。映画の世界では、『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞、『ラストエンペラー』の音楽でアカデミーオリジナル音楽作曲賞などを受賞。環境や平和問題への言及も多い。2017年春、ソロアルバム「async」をリリース。

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