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いつもお天気がいいにもほどがあるーー小津安二郎映画の音楽について 長門洋平

 いつも同じような、どうでもいいような音楽が流れているばかりで過激な部分がまるでないところが小津映画の音楽の過激さなのだ、とたぶん誰もが思っていて、たしかにそうとも言えるのだけれど、しかしよくよく聴いてみると、「どうでもいい」では済まされないような音楽のつけかたもあって、そういう意味では小津映画はじつのところ普通の意味で過激なのかもしれない。たとえば、『早春』(1956年)中盤、三浦(増田順二)の葬儀シーン。小さな音量だが、ワクワクと浮き立つようなマーチ風の音楽が流れている。これが式場に隣接するどこかの物語内空間からもれ聞こえてくる音楽だというならば、映画音響の理屈としては筋はとおるが、そうすると物語的に理屈がとおらない(さすがに、葬儀に対する周囲の配慮はうながされているだろうから)。するとこれは、この映画の伴奏音楽だ。ドラマと無関係になんとなく流れているのではなく、作り手側のつよい意図のもとに、積極的に挿入された異質な音楽だ。すなわち、この場面はスタンリー・キューブリックやデヴィッド・リンチの状態に近い。
 一方、葬式場面の20分ほど前、杉山(池部良)が三浦を見舞うシーンでも同じ音楽が流れているが、こちらは伴奏音楽ではなく画面外から聞こえてくる物語世界内の音のようだ。同作の音楽を担当した斎藤高順は、つぎのように述懐している。

 

 小津監督は『サ・セ・パリ』や『バレンシア』が大変お好きだということを聞いていたので、〔中略〕共通する音を楽譜に記載して、それを軸に自由に作曲したところ、『サ・セ・パリ』にも『バレンシア』にも似たようであり、でも少し違うような面白い曲が完成しました。

 それを『早春』の中では池部良さんが友人の見舞いに訪れる深刻なシーンのバックに一回だけ使いました。

 小津監督からは、「こういうシーンに、悲しい曲や綺麗な曲では画面と相殺してしまうので、歯切れのよい『サ・セ・パリ』や『バレンシア』のような音楽で頼むよ。」という注文でした。

 この曲はBGMとして書いたのに、遠くから聞こえてくるレコードかラジオの音楽のようで、いずれにしても場面を大変盛り上げる効果があり、監督はとても喜んでくれるし、スタッフ一同にもきわめて好評でした。*1

「場面を大変盛り上げる」という表現がいまいちピンとはこないものの、ドラマに対し無関心に流れつづける陽気な音楽がシーンの寂寥感をいっそう際立たせているようで、これはたしかに効果的だ。しかし、「一回だけ」というのは、斎藤の記憶ちがいだろうか。葬式シーンにおいても同曲が使われているにもかかわらず彼がそれを失念しているらしいという事実のうちに、「歯切れのよい」葬儀場面の特異性が浮かびあがってくるかのようだ。
 音楽の印象と場面の印象との対照性(コントラスト)を利用する演出は、映画史の教科書では「音と映像の対位法」と表現される。黒澤明が作曲家の早坂文雄と組んだ『醉いどれ天使』(1948年)などでよく知られる手法だが、この場合その音楽は物語世界内で――いわゆる「現実音」として――さりげなく聞こえているというシチュエーションでもっともよく効果を発揮する。伴奏音楽として付されてしまうと制作者の意図が前面に出すぎてしまうこともあって、場面の情感の強調を超えて正反対の「異化効果」へ向かってしまいがちだからだ。したがって、右の2つの場面を強引に分類するならば、見舞いシーンは黒澤/早坂的な「対位法」で、葬式シーンはキューブリック的な「異化」と言えるかもしれない。
 ところで、『東京物語』(1953年)より小津映画の音楽を書きつづけた斎藤の、次のような発言はよく知られている。

 

 小津さんはこう言ってくれたのです。「ぼくは、登場人物の感情や役者の表現を助けるための音楽を、決して希望しないのです。」〔中略〕「いくら、画面に、悲しい気持ちの登場人物が現れていても、そのとき、空は青空で、陽が燦々と照り輝いていることもあるでしょう。これと同じで、私の映画のための音楽は、何が起ころうと、いつもお天気のいい音楽であってほしいのです。」*2
 

 これはおどろくべき発言で、要するに小津は、「伴奏音楽は映像と無関係でいいです」と言った、ということになる。一部の前衛をのぞき、映画の音に対してここまでラディカルな立場をしめした映画作家はほとんどいない。映画音響理論家であるミシェル・シオンの小津映画評もただしくこの文脈上にあり、映像と音楽との「偶然の一致」ないし「無償の結合」によって「存在のはかなさという悲愴な印象が伝えられる時」、小津映画は「もっとも美しい瞬間」を見せると彼は述べる*3。また、「映像との意味連関の徹底した不在*4」という観点から小津/斎藤の試みを評価する長木誠司や、「『一人息子』からのトーキー作品において、作曲家が手掛けた音楽が特別に記憶に残ったり、あるいはストーリーや人物を描きだすのに否応なく印象的であったりすることはない*5」とする小沼純一ら日本の音楽学者たちも、ひとしく小津映画の伴奏音楽の、物語に対する「どうでもよさ」を前提とし、それゆえに称揚する。
 この議論の方向性とサイレント映画との関わりを端的に示してみせたのが、評論家の片山杜秀である。

 

 彼〔小津〕はサイレントの美意識の中で映画作法を完成させていた。喜怒哀楽は視覚だけで十二分に表現されるのであり、そこに映画芸術の神髄がある。大袈裟な台詞や説明的な音楽で上塗りするのは、下品なのである。音楽は、サイレント時代のように、画面上の喜怒哀楽から超然とし、マーチやポルカで囃しているだけでいい。だから、「いつも天気のいい音楽」なのである。

 この思想は周囲に分かられなかった。だが、「最後の軍楽隊員」の斎藤には、元軍楽隊員たちの無声映画館での仕事ぶりを受け継ぐ小津美学が、ピンと来たのだ。だから斎藤は、小津映画のサウンドトラックを、ブンチャブンチャというポルカや、ズンチャチャチャチャ・ズンチャズンチャというマーチのリズムで満たすことができた。それによって、小津のトーキー映画はついに本当に小津らしくなれた。トーキーにサイレントの美意識が召喚されたのである。*6
 

 小津映画における斎藤の仕事は「ただドラマをほっぽっておく*7」ことであるとも述べる片山の見解は、なるほど説得的である。たとえば、『浮草』(1959年)の寂寞とした一座解散シーンでながれる脳天気なポルカなどが典型例だろう。つまり、音楽が場面に合っていようがいまいがそれ自体は小津のねらいではなく、結果的にそうなっているだけであり、小津は画面と音楽との関係性をあくまで無視し続けたのだ(だからおもしろい)、というのが上の論者たちの基本的な立場だ。
 しかし、すると、先の葬式シーンの音楽はどうなるのか。「サ・セ・パリ」と「バレンシア」を混ぜて「サセレシア」と呼ばれたあの音楽も、「いつもお天気のいい音楽」で済ませられるのか。場面に対する観客の没入を中断させてしまうこの音楽は、「ただドラマをほっぽっておく」の範疇を超えてしまってはいないか。人がひとり死んだというのに、お天気がいいにもほどがあるという意味で、ここには――『浮草』等とは異なり――いくばくかの作為がにおう。
 というのも、小津は口では「いつもお天気のいい」などと言っているが、場面と音楽との関係性というものを実は気にしているようにも思われるのだ。そもそも、多くの人が指摘しているように、シークェンスの区切りをしめす短い音楽が小津映画にしばしば現れるが、これなどは高度に意図的かつシステマティックに付与されており、映像と無関係とはとても言えまい。またたとえば『彼岸花』(1958年)で、自分の結婚に反対していた父親(佐分利信)が、ついに折れて結婚式へ参列してくれることになったという報せを受けた際の節子(有馬稲子)の涙は、抒情的なアレンジをほどこされた「埴生の宿」に適切に「伴奏」されてはいないか。
 作品のエンディング(エンドマーク)に関しても同じことがいえる。小津映画の音楽が全体に淡泊な印象なのは事実だが、どの作品も最後の最後にはいつだって、幕切れにふさわしい盛り上がりをみせ、観客にカタルシスをもたらしているのではないか。小津にもっとも相性がいいと言われる斎藤高順が音楽を担当した作品ですらそうなのだから、伊藤宣二、斎藤一郎、黛敏郎らが書いた音楽はなおのこと「劇伴」的である(黛は意図的に非小津的な音楽を志向していたので*8、すこし事情は異なるけれども)。また、彼の映画のサウンドトラック全般につよい影響力をもっていた、松竹大船撮影所の音楽監督・指揮者の吉澤博*9の存在も看過できないという意味でも、小津映画の音楽は彼の「お天気」観によってのみ規定されるべきではないのだ。
 音楽的にもっともおかしなことになっている作品をみてみよう。斎藤高順が音楽を担当した『東京暮色』(1957年)である。斎藤は次のようにふり返っている。


 三作目の『東京暮色』では全編音楽は『サセレシア』一つでやろうと小津監督に言われ、タイトルバックからあらゆるシーンのバックに『サセレシア』を使い、とうとう一曲も作曲しないまま映画が出来上がってしまいました。*10
 

 全体を貫徹する陰鬱なプロット構成とユーモアの欠落という点で小津らしからぬ雰囲気をたたえた同作は、しかしそんな作品の全体像をまるで気にしていないかのような陽気な「サセレシア」がたしかに印象的である。しかし、意識的に音楽を聴いてみると、「サセレシア」以外の楽曲も使用されていることがわかる。場面に対するちぐはぐさによる強烈な違和感と、流れている時間の長さのために、「『東京暮色』はとにかく「サセレシア」一発」と多くの人が――斎藤も含めて(!?)――思いこんでいるが、じつは同曲の使用頻度はすくなく、タイトルとエンディングを除くと、約140分もの上映時間中わずかに3回しか現れない。以下の3回である。

① 雀荘「寿荘」にて、明子(有馬稲子)が麻雀をしているところへ、店主・相島(中村伸郎)の細君・喜久子(山田五十鈴)が帰ってくる。明子に近況を聞く喜久子。
② 喜久子に会うため再度「寿荘」を訪ねる明子。近隣のおでん屋「お多福」へ連れだし、「おばさん、あたしのお母さんね」、「あたしいったい誰の子なんです?」と喜久子に迫る明子。
③ 明子の姉・孝子(原節子)が「寿荘」に喜久子を訪ね、明子の死を告げる。喜久子は呆然としたまま「お多福」へ行って酒を飲みつつ、相島とともに室蘭へ向かうことを決める。

「サセレシア」はいつも「寿荘」を起点に流れはじめるため、同店の店内BGMのように聞こえる。しかし、右に明らかなように、②と③では場所が変わって屋外および「お多福」に至ってなお流れつづけているため、観客に軽い混乱をあたえるような音響設計となっている。この種の演出に関しても斎藤は言及している。


 小津さんの場合、人物の内面とは関係なしに、喫茶店やレストランではムード・ミュージックとして流れているという設定でやりましてね。ところが、そのまんま、まったくシーンが変っちゃったりなんかしても、引きつづき流してるなんてのがおもしろいですね。リアリズムだったらね、パッとシーンが終わったら、そこで切れなきゃいけないのにね、ズーッと流れていて、聴いてるほうでは、あれ? なんて思ってしまうんです。〔中略〕ですから、エフェクトのつもりだった音楽が、ブリッジになっちゃってるんです。そういうとこがおもしろいですねえ。あの当時でですね、場面が換わっても音楽だけが続いてるなんてこと、ありえないですもの。*11
 

 1950年代当時の日本映画にサウンド・ブリッジ――物語世界内の音が、映像との合理的関係を無視して場面転換をまたぐこと――は「ありえない」というのはやや言いすぎの感はあるものの、「店内BGM」(物語世界内音響)と「映画のBGM」(劇伴)が奇妙な混濁をみせる点はたしかに出色と評価できる*12。しかしそれ以上に問題なのが、「サセレシア」が流れるタイミングだ。先に述べたとおり、この音楽は一見「寿荘」と関連しているように見える/聞こえるが、おでん屋でも流れているため、特定の場所と結びついた音楽とはいいがたい。すると、場所ではなく人物だ。すでに明らかなように、この3つの場面でつねに登場しているのは山田五十鈴演じる喜久子である。すなわちこの「サセレシア」は、場面のムードとも、登場人物の心理とも、舞台の説明とも、シーンのコンティニュイティともまるで関係しないが、喜久子が画面に出ているから流れているという点において、映像との構造的な関わりをもっている。
 もっとも、彼女のキャラクターや内面との関連を徹底して欠いているという意味では、同曲はライトモティーフ*13的に働いているとは言いがたい。また、喜久子の登場シーンすべてに「サセレシア」がつけられているわけでもないが、しかし「サセレシア」が流れるシーンにはかならず喜久子が登場しており、これは彼女以外のどの登場人物にもあてはまらないという意味で、これを「喜久子のテーマ」と呼ぶことにさほど無理はないはずだ*14。すると、この曲が同作のオープニングおよびエンディングで流れているという事実のうちに、この『東京暮色』という作品の主人公を、明子ではなくその母・喜久子とみなす解釈の可能性もでてくるだろう。すなわち、同作の音楽は、奇妙な仕方で映像と関係している。小津映画の音楽は、必ずしもお天気の観点のみではとらえきれないのだ。
「いつもお天気のいい音楽」の思想は、物語芸術における伴奏音楽のありかたに根本から再考をうながすきわめて刺激的な映画音楽論だ。そして、小津映画はある程度までその達成としてとらえることができるし、『東京暮色』をその文脈で評価することも可能だろう。しかし、それだけでは収まりの悪いなにかが存在する。「お天気のいい」を超えて小津の自意識がすけてみえそうな『早春』の異化効果もあれば、映画音楽のすべての機能を無視したうえで特定の人物が登場している/いないの「0か1か」的発想のみを前景化する『東京暮色』のような畸形的作品も存在している。小津映画に向かうわれわれの耳はとかく無常と達観を聴きとりがちだが、真に享受すべきはおそらく彼の気骨と陽性の底意地なのだろう。

謝辞
 本稿は、公開講座「映画音響批評 小津安二郎の音を語る」(早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系主催、2017年7月15日、早稲田大学戸山キャンパス)における、松浦莞二氏と筆者との対談にもとづきます。松浦氏をはじめとして、宮本明子氏、小沼純一氏、正清健介氏およびフロアからの貴重なご意見を参考とさせていただきました。厚く御礼申し上げます。


*1 斎藤高順「『サセレシア』と『ポルカ』―小津安二郎の映画音楽 Soundtrack of Ozu」http://soundtrack-of-ozu.info/ memoir-010 (最終アクセス:2018年1月30日)。
*2 斎藤高順「斎藤高順に聞く――小津映画、音の仕事」(「キネマ旬報」1994年7月7日号)、74頁。
*3 ミシェル・シオン『映画にとって音とはなにか』(川竹英克、ジョジアーヌ・ピノン訳、勁草書房、1993年)、158頁。
*4 長木誠司『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社、2010年)、395頁。
*5 小沼純一「小津安二郎 音とモノの迷宮へ」(「ユリイカ」2013年11月臨時増刊号)、209頁。
*6 片山杜秀「斎藤高順と小津安二郎」(「レコード芸術」2007年2月号)、65頁。
*7 片山素秀「小津安二郎、音の世界」(「キネマ旬報」1994年7月7日号)、70頁。
*8 黛敏郎「黛敏郎に聞く――小津映画、音の仕事」(「キネマ旬報」1994年7月7日号)、71~73頁。
*9 斎藤、「斎藤高順に聞く――小津映画、音の仕事」、73~76頁。
*10 斎藤、「『サセレシア』と『ポルカ』」。
*11 斎藤高順「『東京物語』のテーマ音楽」(リブロポート編『リブロ・シネマテーク 小津安二郎 東京物語』リブロポート)、1984年、259頁。
*12 小津映画にしばしばみられるこの種の「曖昧さ」に関しては、正清健介「小津安二郎『秋日和』におけるピアノ練習曲」(「映画研究」第9号、2014年)、44~62頁が示唆に富む。
*13 劇中にくり返しあらわれる特定の旋律的モティーフで、人物・感情・状況などと結びついたもの。この概念はオペラ等の西洋芸術音楽のなかで確立されたが、その発想はひろく映画音楽の手法にも影響をあたえた。
*14 ただし、③の「サセレシア」が、「明子の死(不在)」という意味において明子と関連していると考えるならば、同曲を「明子のテーマ」と見なす可能性もなくはない。この立場から、先の『早春』の「サセレシア」もまた「三浦のテーマ」であると考えることもできるかもしれない。

 

(初出:『小津安二郎 大全』)

 


(ながと・ようへい) 1981年生まれ。立教大学助教。専門は映画研究、聴覚文化論。著書に『映画音響論 溝口健二映画を聴く』(みすず書房、2014年、サントリー学芸賞)、共著に『映画産業史の転換点――経営・継承・メディア戦略』(森話社、2020年)、『渋谷実 巨匠にして異端』(水声社、2020年)など。

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