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60 Years + 60 Photos = 120 YEARS OF YASUJIRO OZU

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米映画芸術科学アカデミーのマーガレット・ヘリック図書館で小津安二郎の写真展覧会が開催されることになった。

図書館ディレクター、マット・セバーソンにお話を伺った。

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――マーガレット・ヘリック図書館で展覧会「60 Years + 60 Photos = 120 YEARS OF YASUJIRO OZU」が開かれるそうですね。どの様な内容の展覧会か、誰の発案なのかご説明いただけますか?

 

 展覧会「60 Years + 60 Photos = 120 YEARS OF YASUJIRO OZU」は、これまでの映画監督の中で最も偉大だと私が確信している小津の人生と、その映画における功績を祝福するために企画されました。生誕120周年が近づいてきています。小津は誕生日と命日が同じ12月12日で、60歳で亡くなっているのも興味深いですが、私の情熱をマーガレット・ヘリック図書館にお越しいただける全ての人と分かち合える機会を得たと感じました。展示する写真は、松竹株式会社と川喜多記念映画文化財団のご厚意によりお借りすることができました。小津の個人的な写真や撮影の裏側を写したものも含まれます。展示は極初期の無声映画まで遡り(確認中ですが、1927年の『懺悔の刃』も含まれる予定です)、また『生れてはみたけれど』(1932)、『晩春』(1949)、『東京物語』(1953) 、そして『秋刀魚の味』(1962)のような傑作も含まれます。映画に出てくる会社やバーや小料理屋、また登場人物たちの家の様子がわかるスクリーンショットの展示もある予定です。洗濯物、駅や記念碑、ビル、野球場、バーや食事処の看板が沢山ある路地など、小津が撮影した屋外風景が楽しめる小展示もあります。私は訪れるお客様に小津の世界を、もし一本も小津映画を見ていない方であっても、感じてほしいと考えています。この展示を見ることが、小津の映画を観る機会になればと願っています。

 マーガレット・ヘリック図書館では毎年収蔵品に光を当てるための展示をおこなっています。例えば、直近では 「INDEPENDENT VISIONS: 映画の中の女性ー1900年から現代まで」と題し、国内外の女性映画制作者の映像を紹介しました。ロビーに展示した写真に加え、映像の展示もありました。関連映画や、アカデミー協会口述歴史プログラムの一環として作られた映画制作者たちの取材映像が展示されました。今回の展示では、我々の口述歴史部門による独自取材からの映像を上映します。久石譲、吉田喜重、篠田正浩、大林宣彦、鈴木清順、橋本忍、仲代達矢、野上照代、そして山田洋次が小津安二郎を語ります。上階にある特別収蔵閲覧室では、関連展示もおこないます。日本映画史に関連する新聞切り抜き、写真、手紙、ポスターなどを、六つの大きな展示ケースに年代順に並べて展示する予定です。小津だけでなく、日本映画全体を祝うことになると思いますので、とても興奮しています。展示の内容については、おそらく私が最も発言権が持っていますが、他の図書館のマネージャーと相談したり、私の上司であるランディ・ハバカンプ(アカデミー図書館、映画保管科学技術評議会の上級副会長)の助言を仰いだりしています。

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小津の第一作『懺悔の刃』
出典:松竹編『小津安二郎 新発見』講談社、1993年、216頁。

――『懺悔の刃』の写真からとはすごいですね。鈴木清順や橋本忍、野上照代らの映像もとても貴重だと思います。どの様な観客が来られるとお考えですか。また、米国ではどの小津作品が人気がありますか。

 

 観客は、大学生、国内外の映画学者、映画愛好家、小津愛好家、また日本映画に興味のある方、映画制作者、アカデミー会員、研究者、そして当館を訪れるすべての人がこの展示を見ることになると思います。かなり多様ですね。多くの人たちは小津作品をよく知っているわけではありませんので、一年間展示が続くことにドキドキしています。私はこの展示が小津作品を見るきっかけになればーー理想を言えば、新たな小津信者が生まれればと願っています!

 二つ目の質問は少し難しいですね。間違いなく米国の観客に最も知られた日本の映画監督は黒澤明です。小津は、知っているが見たことのない人の方が多いでしょうか(もし見ていたとしても、一般的なことですが、映画の授業で『東京物語』または『晩春』を見たという場合が多いでしょう)。しかしながら、過去25年にわたって私はロサンゼルスとサンフランシスコの映画保管施設や美術館での上映を見てきましたが、総じてたくさんのお客さんで席は埋まっていました。小津を知っている人は、小津を好ましく思っています。そして少しずつですが確実に、まだ小津を知らない人にも、小津は広まりつつあると言えるでしょう。今年BFIが10年に一度発表する「史上最高の映画」の最新版が楽しみです。『東京物語』は前回、世界の映画監督が選ぶ部門で一位でした(批評家部門では『めまい』(1958)『市民ケーン』(1941)に続く三位でした)。西洋の殆どの観客は『東京物語』を日本での公開から20年以上後に見だしたことを踏まえると、これは驚くべき偉業だと思います。

 米国で何が人気のある作品か、科学的調査をしたわけではありませんが、『東京物語』、『晩春』、『秋刀魚の味』、『麦秋』(1951)、『お早よう』(1959)、『浮草』(1959)、そして『生れてはみたけれど』はよく取り上げられる作品です。『東京の宿』(1935)は注目を集めつつあると強く感じます。初期の傑作であり、約八年後、第二次世界大戦中にイタリアでネオリアリスモが盛り上がりますが、その初期の例でしょう。

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出典:小津安二郎監督『東京の宿』松竹株式会社、1935年。

――『東京の宿』が米国で注目されているとは嬉しいです。とても素晴らしい作品ですが、未だ多くの日本人はその価値に気づいていないと思います。英国ではリンゼイ・アンダーソン、ドイツではヴィム・ヴェンダースが大の小津ファンとして知られています。米国ではポール・シュレイダーやダニエル・レイムが有名ですが、それ以外の監督や役者、作家などで、小津ファンをご存知でしたらお教えください。

 

 とてもいい質問ですね。欧州やその他世界中で小津作品のファンをたくさん知っています。いくつか例を挙げると、アキ・カウリスマキ、タル・ベーラ、ホン・サンス、ジョアンナ・ホッグ、クレール・ドニ、マイク・リー、スティーブ・マックイーン、アスガル・ファルハーディー、そしてヌリ・ビルゲ・ジェイランなどをはじめとする多くの映画人が、小津作品の大ファンです。しかし米国では、ポール・シュレイダー(彼はドナルド・リチーと共に米国におけて初めて小津作品を支持した作家です)、ダニエル・レイムに加えると、私が知っているのは、その映像美学が小津のミニマムな様式から派生したと思われるジム・ジャームッシュ。『ムーンライト』(2016)でアカデミー賞を受賞したバリー・ジェンキンス。『KEEP THE LIGHTS ON』(2012)で知られる独立系映画監督アイラ・サックス。そして、素晴らしい女優で、コメディエンヌ、作家で、映画製作者、90年代に「サタデー・ナイト・ライブ」に出演もしていたジュリア・スウィーニーも加えなければならないでしょう。ジュリアは、私が個人的にも親しい小津のファンで、彼女と私は同じ小津のポスターを壁に飾っているんですよ。大変才能のあるクリス・ウェアが2013年に小津に捧げるために描いた作品を引き伸ばしたものです。クリス・ウェアはこの絵について、「Family Affairs」と題し次のように記しています。「とても幸せな人生で、辛いことは全くなかった。病気、死、失望、失恋ーー難しいことはあった。しかしそれらは皆が通る道。他にいい表現がないが、本当は人生は悲しいものでもある。しかしそれだけではない。大人になった私たちが多くの時間と力を、やわらげ、抑える方法の追求に使っているがゆえに殆ど感じることのない感覚ーー優しさ、共感、弱さ、そして怒りが合わさったようなもの。私たちが子供の頃、特に思春期には強く感じるであろう感覚。この感覚は未だあらゆるものの下に潜んでいて、そして、強い感情が露わになるときに前面に出てくる。大人になってから「人生」を最も深く感じるときだ。小津安二郎の『東京物語』は、私の考えうる全ての芸術作品の中において、この感情を見事に捉えている。」ーー私たちはクリス・ウェアの名も加えたいと思います!最後に、ウェス・アンダーソン監督(『天才マックスの世界』(1998)『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)『ファンタスティック Mr.FOX』(2009)『グランド・ブダペスト・ホテル』(2013))のことも指摘したいと思います。アンダーソン監督が小津のことを語った文章は見つけられないのですが、しかし、視覚的に多くの類似がありますので、小津が大きな影響を与えなかったとは考えづらいでしょう。両監督の作品を比較した短編も紹介したいと思います。

――たくさんの監督や女優、作家を挙げていただき嬉しいです。彼らも展覧会に来てほしいですね。

さてここから少し個人的なお考えも伺いたいと思います。マットさんは、どの小津作品を評価されますか。またその理由もお聞かせください。

 

 まだ若く初めて小津の世界に触れた頃、私は小津の初期作品に惹きつけられました。『生れてはみたけれど』、『朗らかに歩め』(1930)、『東京の女』(1933)、『出来ごころ』(1933)、『東京の宿』、そして『淑女は何を忘れたか』(1937)の形式的特質がいかに独特で遊び心に満ちているか、彼のユーモアが大好きだったのです。また、『長屋紳士録』(1947)の感動的で喜劇的な飯田蝶子の芝居と、孤児との関係にも心奪われました。

 原節子とその『晩春』、『麦秋』、『東京物語』での演技にも魅入りましたが、これらの映画が本当に私の心を開いてくれるまでには、数年かかりました。それはおそらく私がこれら作品をより形式的であると思ったからですが、今となっては毎年繰り返し見ています。これら三作品は、小津の成熟した形式の根幹となるものだと思います。『晩春』は胸が張り裂けそうな作品です。『東京物語』は私が最も好きな映画の一つです。ありきたりの表現ですが、決して飽きのこない作品です。私には年老いた両親がいるため、深く共感するところがあります。

 小津には子供を演出する天性の素質があります。突貫小僧との作品は特に素晴らしい。『長屋紳士録』の少年、『麦秋』『東京物語』の少年も挙げなければなりません。また、『お早よう』は素晴らしく感動的な喜劇の傑作です。小津映画を観たことがない人へ見せる「最初の一本」としても最適です。

 最後になりますが、小津の色使いにも取り憑かれています。とりわけ『彼岸花』(1958)、『お早よう』、『浮草』、そして『秋刀魚の味』の色です。小津の遺作は『東京物語』と同じくらい高く評価しています。憂いを帯びた優美さ、静かな深みがありますね。加えて、『秋刀魚の味』では、バーで昔の戦友二人が頭に手を当て、バーの女主人と一緒に戦争行進曲を聴いている場面が好きです。面白くて、甘く切ない。「これは映画史において、『雨に唄えば』(1952)のジーン・ケリーと並ぶ私の好きなミュージカルシーケンスの一つだ!」と私はよく言っています。

 

 

――飯田蝶子の魅力に気付かれているのはさすがですね。小津映画の本質は、彼女の様な人物の面白さ、魅力を描くことにあると思います。以前、小津とヒッチコックに似ている点があると仰ってましたね。我々も似ていると思ったことがあるので驚きました。どんな点が似ていると思いますか。また違う点は何だと思いますか。

 

 はい。一見明らかでないですが、小津作品とヒッチコック作品でいくつか類似点があると思います。ジャンルと作風という観点では明らかに違うものを狙っている両監督です。ヒッチコックは第一にサスペンスに関心があり、観客の反応を操作する方法を見つけることに喜びを見出しています。小津は、ささやかで親密な家庭劇を原動力とする似通った物語ーーそれは風景や季節といった「不変で循環する自然」を背景とするーーを、生涯を通じて何度も根本的に作り直しました。それは、私たちの人生の本質的なはかなさを、哀愁をもって感じさせました。これら違いを踏まえた上で、何が類似しているのでしょうか?

 小津は喉にできた癌で六十歳で亡くなったので、ヒッチコックの方がより長い期間活動したことになりますが、第一に、両監督は無声映画出身の監督で、その尊敬すべき経歴の中で似たような最盛期がありました。今日まで最も評価されている作品は1950年代と60年代初頭の作品です。両監督とも生涯を通して何度も同じような役者、技術者と作品を作りました。その結果、主題と絵作りにおいて他の監督と明らかに異なる特徴ある形式が持続できました。両監督とも(絵コンテによる撮影詳細も描かれた)脚本を事前に完成させました。彼らが撮影を行うとき、撮影方法において改善や次善の策は全くないのです。ヒッチコックは「監督の半分の仕事は脚本で終わっている」と発言していました。そしてその結果、彼が言うところの「俳優が自発的にではなく、厳しい監督のもと、感情を発揮できるよう動きを設定する機械的な過程」が生まれるのです。俳優の動きは監督が決めました。両監督とも俳優に対してとても緻密でした(ヒッチコックは俳優は「家畜」だと言っていたことでも知られています)。両監督とも俳優に対し、視線はどこか、手や身体をどう動かすかなど事前に決めていたことを厳密に求めました。香川京子に七月に会ったのですが、彼女はとても小津が俳優一人一人に対して厳格で具体的な指示を出すので、そのやり方に慣れるまで時間がかかったと言っていました。この役者への厳密な演出が両監督の次第の類似点だと思います。両監督とも、その作風は全く異なるものですが、それぞれの演出にこだわっています。他にも類似点はあります。両監督とも独特の色使いで、興味深い「赤」の使い方をします。初期作品をリメイクした点も挙げられます。ヒッチコックは『暗殺者の家』(1934)から『知りすぎていた男』(1956)、また、主人公がスパイと間違えられ追われるスパイ映画『三十九夜』(1935)は『逃走迷路』(1942)と『北北西に進路を取れ』(1956)にリメイクされました。小津も『浮草物語』(1934)から『浮草』を撮りました。小津の『生れてはみたけれど』はのちに『お早よう』に改訂されました。そして、『晩春』は『秋日和』(1960)に再構成されました。最後に、ヒッチコックと小津は両者とも没後に一般の人気と学者、映画制作者による批評的再評価がありました。両者は生きている間も高く評価されました、しかし、彼らの作品は死後により大きな批評の文脈で評価されようになったと思います。内容としてはとても異なる両者ですが、両監督には興味深い類似点があることは間違いありません。

 

 

――ありがとうございます。二人には不思議と共通点がたくさんありますよね。ヒッチコックは日常の出来事を描いてもつまらないと思った。小津はそこに美しいものがあると思った。二人の最大の違いはそこかなと思っています。展覧会のことから個人的なお考えまで、たくさんお聞かせいただきありがとうございました。最後にこれから展覧会を訪れる方に一言お願いします。

 

 ヒッチコックと小津の最大の違いについては、私も同意見です。小津が平凡な出来事に美を見出したというご意見は、本当にその通りだと思います。すばらしいご意見です。

 そうですね、図書館にご来館の皆様には、この展示の熱意と情熱を感じていただければと思います。小津の映画に親しんでいる人には、新しい写真に出会い、彼の映画作家としての技法を知ることができると期待しています。原節子など、小津の代表的な俳優と楽しく過ごす様子を捉えた写真、また、野球のユニフォームを着た小津の写真もありますので、映画の仕事だけでなく、小津という人間について考えるきっかけにしていただければと思います。あまりご存じない方でも、この展示をご覧になれば、小津作品に興味をお持ちになることを期待しています。小津映画の舞台裏の貴重な写真、家族の写真、そして映画からの写真を通して、「小津映画」とは何かを感じていただければと思います!小津の映画について予備知識を持っていても、楽しめるものが見つかるはずです。その一助となれば幸いです。

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