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小津安二郎映画音響論序 松浦莞二

 小津安二郎映画の音が面白い。
「小津は音楽に拘りがない」などと思われていたのだが、それは正確さに欠けるのではないだろうか。そう思わせる発見が近年の調査研究で判明してきている。幾つか紹介してみたい。


①小津の音楽的素養
 小津は10代の頃マンドリンを弾いていた。代用教員時代に生徒に腕前を披露したと、教え子たちが述懐している。どの程度の腕前だったかは知る由もないが、小津は5年生の担当だったので、10歳児が聞いて喜ぶ程度の楽曲は弾けたものと推察できる。
 また、小津組の製作者山内静夫に伺った話なのだが、小津は音楽家と「僕には分からない専門用語を使って音楽の話をしていた」ことがあったらしい。こちらもどのような専門用語だったのかは分からない。しかし、山内氏は私の取材している限り、一般もしくはそれ以上に音楽の知識があるように思われる。音楽に関してある程度専門的な内容を小津は話していたことが窺える。小津が音楽に興味がない、素養がないというのは端的に言って間違いであろう。


②サウンド版
 無声映画からトーキーに移行していく時代に、俳優の台詞は入っていないが音楽だけが付いているサウンド版映画というものが存在した。
 小津の作品でいうと『また逢ふ日まで』『浮草物語』『箱入り娘』『東京の宿』『大学よいとこ』がサウンド版映画だ。うち3本は現存しておらず『浮草物語』は無声版しか残っていないため、現在サウンド版が楽しめるのは『東京の宿』だけなのだが、『また逢ふ日まで』『浮草物語』に関して興味深いことがわかってきた。

 まず、初めてのサウンド版映画『また逢う日まで』だが、当時の批評などから小津の指示で『蛍の光』『トロイメライ』『ユーモレスク』などの音楽が使われていた*1、つまり小津が選曲も担当していたことが明らかになってきた。
 2本目『浮草物語』も同様だ。小津の日記からこの作品でも自ら選曲したことが窺え、しかも驚いたことにこの作品には「しぐれ旅」(作詞=佐藤惣之助、作曲=三界稔、歌=東海林太郎)という主題歌も付いていた。雨の降った後の楽屋で役者がぼやく場面に流されたことも分かってきている。小津の映画で主題歌が流れていたというのは意外に思われる方も多いのではないだろうか。
 ぜひ視聴してみたいところだが、この作品は先述の通りサウンド版ではなく無声版しか残っていない。そこで、初の試みだと思うがその場面を再現してみた。関心のある方はご視聴いただきたい。

 映画研究者:田中眞澄によると、この曲は「雨に降りこめられた楽屋(役者たちがタバコを切らしたりしている)の場面」つまり、開始から24分からの場面に流れる。

 主題歌が場面冒頭から流れるのか、途中からなのか、また、場面最後まで流れていたのか、途中までなのかも不明だ。歌の長さと場面の長さがほぼ同じだったため、冒頭から最後まで一曲流れたのではないかと推察し、それに基づき作成した。

③繰り返される一曲
 戦前の傑作で、小津が巨匠となるきっかけとなった『戸田家の兄妹』。この作品はごく短い音楽とお経、喫茶店内で聞こえる音楽を除くと一つの曲とその変奏しか音楽が使われていない。実に大胆な表現だ。
 同様の表現は16年後に『東京暮色』でも用いられる。『東京暮色』では悲劇に明るい音楽を合わせるという特徴のあるもので言及されることも多いが、こちらは一般的な、物語に沿った控えめな音楽なため気づかれることも少なかった。分析や研究もまだ十分ではない。
『東京暮色』で小津から音楽担当の斎藤高順に指示があったことは明らかになっているが、『戸田家の兄妹』はなぜこの様な音楽設計になったのだろう。音楽の伊藤宣二の提案なのか、あるいは小津の指示だろうか。作品を一曲で通すというのはなかなか無いことである。小津が二度もその様な試みを響かせたことはもっと注意されるべきであろう。


④黒澤明からの影響
 小津が黒澤明の監督第一作に関わったことは有名だ。黒澤の『姿三四郎』が完成した後に公開前審査が行われたのだが、内容が激化する戦時下にふさわしくないとされ、審査落選となりかけた。その時審査員として参加していた小津は、「一〇〇点満点として一二〇点」と作品を絶賛。そのこともあって、作品は無事に公開されることになったのだ。1943年のこの審査会場に小津がいなければ、『姿三四郎』の公開もその後の黒澤の活躍もなかったのかもしれない。

 小津はその後も7歳年下の黒澤を注目し続けた。その黒澤は、1948年の『醉いどれ天使』と翌年の『野良犬』で、物語とは対照的な音楽をつける、対位法と呼ばれている手法を確立する。例えば悲しい場面に反対に明るい音楽を使用する、といった手法だが、小津はその手法を『早春』(1956年)で取り入れた。しかも、『野良犬』では「サ・セ・パリ」が流れているのだが、『早春』で小津は「サ・セ・パリ」を基にした楽曲を作らせて流すのだから、直接的な影響を受けていると言って差し支えない。
 小津は若手の編みだした新しい手法も柔軟に取り入れていたのだ。


⑤黛敏郎の起用
『お早よう』に音楽家・黛敏郎が参加した理由はこれまでよく分かっていなかった。黛はその前衛的な音楽で知られており、『お早よう』の3年前に公開された溝口健二の『赤線地帯』では賞賛とともに、音楽が作品に合っていないと批判もされていた。
「音楽に拘りがない」はずの小津の作品になぜ黛が参加しているのか。常連の斎藤高順に問題があったのか、会社の意向があったのか、長年その理由が推測されていたのだが、製作の山内氏に伺ったところ、その理由はあっけなく判明した。小津自身が自ら希望したため、というのだ。これは意外な理由であった。

 一般にはそう思われることは少ないが、黛は『お早よう』でも前衛的な音楽を作っている。冒頭で流れる主題曲だが、これはモーツァルトの交響曲第四一番と、黛の過去作品(川島雄三監督『グラマ島の誘惑』で使用した曲)を組み合わせたもの。つまり、黛は主題曲を一から作るのではなく、モーツァルトの有名な楽曲に自身の過去作品をつなぎ合わせることで生み出したのだ。現代でこそ驚きはないかもしれないが、当時これは先鋭的な表現であった。
 小津自らが前衛音楽家を起用し、作品に、気づかれることは多くなかったにせよ、前衛的な音楽を響かせたこともまた注意されるべきであろう。


まとめ
 小津作品の音楽について5つの近年の研究を紹介した。②と③は当方の発見ではなくご存知の方もいたかもしれないが、音楽の専門家ではない筆者が調査した限りでもかなり興味深いことが浮かび上がってきている。
 さらなる研究は映画音楽の専門家に請け負っていただきたい。しかし、小津にはある程度以上の音楽的素養があり、音楽的挑戦もみせ、若手の手法も取り入れる、前衛音楽家を自ら指名するなど、「小津は音楽に拘りがない」という見解にはいささか疑問が生じ始めてはいまいか。
 会話や物語の巧みなこと、その撮影や美術の拘りだけが小津の映画の魅力ではない。音も面白く聞き逃せない。


*1=
井上和男編『小津安二郎全集「上」』作品解題、新書館、2003年および岸松雄『映画評論家 岸松雄の仕事』ワイズ出版、2015年。

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